部長-齋藤洋典-
「未来への通過点」
「合格おめでとう」。祈願成就を祝福することばを皆さんに贈ります。しかし残念ながら、この甘美な祝辞は季節の中でゆっくりと確実に色あせてゆきます。皆さんはその理由にすでに気づいていることでしょう。なぜなら合格は皆さんの終着点ではなく、次への出発点であり、未来への通過点にすぎないからです。
かつてW.H. Audenという詩人は、”Look before you leap”(跳ぶ前に見よ)という英語の慣用句をもじって”Leap before you look”(見る前に跳べ)と題するいささか挑発的な詩を詠みました。彼は慣習に危険の感覚が鈍麻し、挑戦を躊躇することに警鐘を鳴らします。「危険の感覚は失せてはならない: 道は確かに短い、また険しい、ここから見るとだらだら坂みたいだが。見るのもよろしい、でもあなたは跳ばなくてはなりません。((Look if you like, but you will have to leap))。その詩は未来を暗示する文で結ばれています。
冒頭の「合格」や「危険の感覚」のように、私たちが1つと捉えるものごとには,時に2種類の相反する側面が含まれています。そのために、いわゆる万能と信じられている私たちの常識は、もう一方あるいは他方には通用しない時期や場面に直面します。その「出発点としての常識」が行き詰まったと思える時に、もし個人の経験に即した「到達点としての常識」がまだあることに気づくと、私たちの魂ははっしと打たれ、そこに常識の再考が生まれます。挑戦の眼差しには、世界の見え方を支える常識を覆(くつがえ)す力が宿ります。
名古屋大学アメリカンフットボール部(GRAMPUS)はフットボールを通してこうした2種類の常識に挑む勇気をもとうとしています。この挑戦は選手による勝利に結実する、と出発点としての常識では思われています。しかし、GRAMPUSという1つの組織の挑戦は、選手、スタッフ、コーチ陣、OB会、父母後援会などの多様な人々に支えられています。つまり異なる役割を担う人々の活躍が、GRAMPUSを1つのチームに見えるように機能させています。したがって、チームの要(かなめ)は,メンバーの役割の分け隔てにはなく、むしろそれらをつなぐことにあります。出発点としての常識的な分別(ふんべつ)と、分別を超えた到達点としての連携が、ここでも常識の再考を促します。
もちろん私たちは勝利を目指して修練を重ねるのですが、皆さんの合格がそうであるように、勝利は私たちの終着点ではなく、次への出発点であり、未来への通過点に過ぎません。今、未来への通過点に向けて、常識に挑む勇気をわかちあうために、GRAMPUSの仲間があなたを待っています。